和賀心教典 第41節 1987年10月16日 信心は話を聞くだけが能でない。わが心からも練り出すがよい。 仕事が仕事を教えると言う。信心も信心が教えるまでが信心辛抱であり、教えは或る意味においてそのヒントに過ぎない。信心が真心を教え、真心が神心に…
和賀心教典 第40節 1987年10月16日 重い物を負うておるか担いでおれば苦しいが、そうでないから信心は楽じゃ。 家業を勤め勤めするがよい。 楽じゃというても、苦労せんでよいというのではない。苦労そのままが修行じゃと悟ることで、家業全体が修行…
和賀心教典 第39節 1987年10月16日 此方の行は水や火の行ではない。家業の業ぞ。 お道の信仰による行の目的は神に向かう神に近づくにあります。家業に精を出して居れば修行しているような思い方をしてはなりません。家業の行の中に真に有難し、又人が…
和賀心教典 第38節 1987年10月16日 垢離を取るというが、体の垢離を取るよりは、心のこりを取って信心せよ。 身体の垢離をとるにも力をいれて揉みほぐすことがいるように、心のこりも同じことで、よくよく教えを元に練り出して本当のことがわからねば…
和賀心教典 第37節 1987年10月16日 生きておる間は修行中じゃ。 ちょうど、学者が年をとっても眼鏡をかけて本を読むようなものであろうぞ。 今朝より、福岡の秋永由喜子さんがお参りして来て「先日よりお夢を頂きました。北野町の中村のおばあちゃん…
和賀心教典 第36節 1987年10月16日 日本国中のあらゆる神を、みな信心すると言うが、それはあまりの信心じゃ。 人に物を頼むにも、一人に任すと、その人が力を入れて世話をしてくれるが、多くの人に頼めば、相談に暮れて物事はかどらず。大工を雇うて…
和賀心教典 第35節 1987年10月16日 信心は日々の改まりが第一じゃ。 毎日、元日の心で暮らし、日が暮れたら大晦日と思い、夜が明けたら元日と思うて、日々うれしゅう暮らせば、家内に不和はない。 元日の心、又は大晦日の心とはどんな心であろうか。…
和賀心教典 第34節 1987年10月16日 火花を散らすほどのものがあって、はじめて真の神の真実にふれることが出来るのである。 ここへ参っても、神の言うとおりにする者は少ない。みな、帰ってから自分のよいようにするので、おかげはなし。神の言うこと…
和賀心教典 第33節 1987年10月16日 お供え物とおかげは、つきものではないぞ。 お供えものは神は要るらん。要らんものを供えたからとて、おかげには関係ない。然し、そのお供えものが自らの身の清まりを願うてのもの、又は、神恩報謝の心がそこに現わ…
和賀心教典 第32節 1987年10月16日 女が菜園に出て菜を抜く時に、地を拝んで抜くというような心になれば、おかげがある。 また、それを煮て食べる時、神様いただきますというような心あらば、あたることなし。 女だけでなく、野菜に限らず、食する時…