和賀心教典 第51節 1987年10月16日 天地の間に住む人間は神の氏子。 身の上に痛み病気あっては、家業できがたし。身の上安全を願い、家業出精、五穀成就、牛馬にいたるまで、氏子身の上のこと何なりとも、実意をもって願え。 願いの姿勢が示されてい…
和賀心教典 第50節 1987年10月16日 とかく、信心は地を肥やせ。 常平生からの信心が肝要じゃ。地が肥えておれば、肥をせんでもひとりでに物ができるようなものぞ。 世間では「金の成る木があるじゃなし」というが、お道の信心は金の成る木だけでなく…
和賀心教典 第49節 1987年10月16日 信心は相縁機縁。 お芝居でやるお半長右衛門にしても、相縁機縁である。お互い信心の上でもお半長右衛門的なものはないだろうか。 楽やご利益やお義理だけが縁のもとになっておったり、現世だけが金光さま、あの世…
和賀心教典 第48節 1987年10月16日 言うことを聞かぬ時に、ままよと思うてほっておくような気になって、信心してやれ。 わが子の病気でも、かわいいかわいいと思うてうろたえるといけぬぞ。言うことを聞かぬ時に、ままよと思うてほっておくような気に…
和賀心教典 第47節 1987年10月16日 祈れ薬れにすればおかげも早いが、薬れ祈れにするからおかげにならぬ。 病気の時は医者、死んだら坊主、果たして医者と坊主でよかろうか。人間がいよいよの時、どんな無信心者でも何かに縋らねばおれぬという。その…
和賀心教典 第46節 1987年10月16日 痛いのが治ったのでありがたいのではない。いつもまめながありがたいのぞ。 百味の飲食が頂けることも有難いが、何を食しても美味しいことは、それにもまして有難いことであります。地獄で仏とか暗夜に光明とか申し…
和賀心教典 第45節 1987年10月16日 神信心して身に徳がつくほど、かがんで通れ。 世に、三宝様踏むな、三宝様踏むと目がつぶれるというが、三宝様は実るほどかがむ。人間は、身代ができたり、先生と言われるようになると、頭をさげることを忘れる。神…
和賀心教典 第44節 1987年10月16日 人は万物の霊長なれば、死したる後、神にまつられ、神になることを楽しみに信心せよ。 狐狸でさえ、神にまつられることを喜ぶというではないか。人は万物の霊長なれば、死したる後、神にまつられ、神になることを楽…
和賀心教典 第43節 1987年10月16日 死んだからというて、神のおかげを受けずにはおられまいが。死に際にもお願いせよ。 信心の道理がわかっているくらいで出来ることでないが、死に際にもお願いせよと言うことは、花でいうなら散り際ということになる…
和賀心教典 第42節 1987年10月16日 これほど信心するのに、どうしてこういうことができるであろうかと思えば、信心はもうとまっておる。 これはまだ信心が足らぬのじゃと思い、一心に信心してゆけば、そこからおかげが受けられる。 一、そこからの信…