和賀心教典 第71節 1987年10月16日 ここへは信心のけいこをしに来るのである。よくけいこをして帰れ。 夜夜中、どういうことがないとも限らぬ。おかげはわがうちで受けよ。子供がある者や日傭取りは出て来るわけにゆかぬ。病人があったりすれば、捨て…
和賀心教典 第70節 1987年10月16日 人間は万物の霊長であるから、万物を見て道理に合う信心をせねばならぬ。 万物の霊長としての信心生活が出来ねばならぬ。霊長としての自覚に立ち、霊長としての徳を身につけ、輝かしい人生を生き甲斐にするこそ「真…
和賀心教典 第69節 1987年10月16日 信心はみやすいものじゃが、みな氏子からむつかしゅうする。三年五年の信心では、まだ迷いやすい。十年の信心が続いたら、われながら喜んで、わが心をまつれ。日は年月のはじめじゃによって、その日その日のおかげを…
和賀心教典 第68節 1987年10月16日 神参りをするに、雨が降るから風が吹くからえらいと思うてはならぬ。 その辛抱こそ、身に徳を受ける修行じゃ。いかにありがたそうに心経やお祓いをあげても、心に真がなければ神にうそを言うも同然じゃ。柏手も、無…
和賀心教典 第67節 1987年10月16日 何事もくぎづけではない。信心をめいめいにしておらねば長う続かぬ。 地球はじっとしているようで、実はすさまじい回転をつづけているように、何事も変わったことはないようで実は釘づけではないのである。 だから…
和賀心教典 第66節 1987年10月16日 人間は勝手なものである。 いかなる知者も徳者も、生まれる時には日柄も何も言わずに出てきておりながら、途中ばかり日柄が良いの悪いのと言うて、死ぬる時には日柄も何も言わずに駆けっていぬる。 流れ来たって流…
和賀心教典 第65節 1987年10月16日 日柄方位は見るにおよばぬ。 普請作事は、使い勝手のよいのが、よい家相じゃ。よい日柄というは、空に雲のない、ほんぞらぬくい、自分に都合のよい日が、よい日柄じゃ。いかに暦を見て天赦日じゃと言うても、雨風が…
和賀心教典 第64節 1987年10月16日 此方は参ってたずねる所がなかった。氏子はおかげを受けて遠路のところを参って来るが、信心して徳を受けて、身しのぎをするようになれ。 御取次を願い御取次を頂いて帰る。私共の願いを聞いて頂き、又その返事を聞…
和賀心教典 第63節 1987年10月16日 一粒万倍といおうが。一人がおかげを受けたので千人も万人もおかげを受けるようになるから、よい手本になるような信心をせよ。 『善い手本になるような信心』とはどんな信心を言うのであろうか。「信は光なり」信の…
和賀心教典 第62節 1987年10月16日 神信心も手習いも同じこと、一段一段進んでゆくのじゃ。 昔から、人もよかれわれもよかれ、人よりわれがなおよかれというておるが、神信心をしても、わが身の上のおかげを受けて、後に人を助けてやれ。神信心も手習…