神さまとは
神さまはGodではありません。
神さまについて、国学者の本居宣長(もとおりのりなが)は、こう述べています。 「カミ(神)とは何であれ、尋常ならず優れた徳があって、かしこむべきものをカミとは言うなり」と。 現代でもこの考え方は引き継がれており、例えば、優れた力を持つスポーツ選手などに対して、「○○選手は神だ!」と人々が称えるようなものです。
昔から、日本人にとって神さまを拝むことは、日常的な習慣でした。
明治23年に島根県の松江を訪れた、後の作家、ラフカディオ・ハーン(日本名:小泉八雲)は、『知られざる日本の姿』という著書で、その時の町の人々の様子を詳細に描写しています。 「朝日が昇り始めると、あちらこちらで人々が拍手(かしわで)を打つ音が聞こえて来て、やがてたくさんの音となり、町中にそれが鳴り響いた」と。 その時の人々の心をハーンが代弁し、「いとも貴き今日様!この心地よき日の光を賜りて、世界を麗しくなしたまうことを感謝しまつる!」と書いています。 そして夜になり、月が姿を現すと、人々は再び拍手を打って拝んでいたと。
当時の人々にとって、太陽も月も神さまだったのです。 太陽は「日天(にってん)」または「日乃神(ひのかみ)」と称され、月は「月天(がってん)」または「月乃神(つきのかみ)」と敬われました。 「尋常ならず優れた徳があって、かしこむべきもの」というなら、これほど優れてかしこむべきものは他にありません。
金光教の御教えに、「世話になる すべてに礼をいう心」という言葉があります。 衣食住の一切が天地のお恵みで成り立つ以上、天と地を「神さま」として尊び、御恩に感謝することが大切なのです。
金光教とは
金光教では「日乃神、月乃神、金乃神」これら御三方を総称して「天地金乃神(てんちかねのかみ)」という御名で拝ませていただいています。
昔から、「天は父なり、地は母なり」と言われるように、天と地は全ての生命の根元であり、特に人間にとっては父母も同然なのです。教祖さまの御教えに、「一生死なぬ父母に取りついたと思うて、何事でも無理と思わず、天地の神にすがればよい。」というお言葉がありますが、まさにその通りです。
天地金乃神さまは、人間を「氏子(うじこ)」と仰られ、天地と人がまるで親子のように親しむ世界を望んでおられます。そうした世界を実現するために金光教は生まれました。
岡山県金光町にある金光教本部会堂においては、現教主である金光さまが、取次ぎ(人々の想いを神さまへ、神さまの思いを人々へ取り次ぐこと)に専念されています。どなたでも、いつでも金光さまにお会いして相談することができます。また、世界中にある約1500の教会でも同様に、教師が取次ぎに従事しています。
なお、相談料というものは一切ございませんし、寄進も本人の自由です。寄付札を掲げることもありません。
教祖さま晩年のお言葉に、「この方は、人が助かることさえできれば、それで結構である。」とあり、そのために金光教はあるとも言えるのです。




