和賀心教典 第100節 1987年10月16日 めでためでたの若松様よ枝も栄える葉も茂るというのではないか。 金光大神は子孫繁盛家繁盛の道を教えるのじゃ。 子供の助かりハ其のまま親の助かりである。立教神伝に見る神の助かりとは真実氏子の真の助かりにあ…
和賀心教典 第99節 1987年10月16日 無学で人が助けられぬということはない。 学問はあっても真がなければ、人は助からぬ。学問が身を食うということがある。学問があっても難儀をしておる者がある。此方は無学でも、みなおかげを受けておる。 『此方…
和賀心教典 第98節 1987年10月16日 心は信心の定規じゃによって、お伺いする時には、とりわけ平気でなければならぬ。 落ち着いて静かに願え。 「今日ハ慈悲の日、又は愛の日、神の日」と日々を神に向かう心を作る為に精進したら、さぞ有難いことであ…
和賀心教典 第97節 1987年10月16日 神を拝む者は、拍手して神前に向かうてからは、たとえ槍先で突かれても後ろへ振り向くことはならぬぞ。 物音や物声を聞くようでは、神に一心は届かぬ。 赤い炎も白く見えるほどの時、信心の佳境がある。神に向かう…
和賀心教典 第96節 1987年10月16日 世の人があれこれと神のことを口端にかけるのも、神のひれいじゃ。 人の口には戸が閉てられぬ。先を知ってはおらぬぞ。いかに世の人が顔にかかるようなことを言うても、腹を立てな。神が顔を洗うてやる。 信心して…
和賀心教典 第95節 1987年10月16日 世には神を売って食う者が多いが、此方は銭金では拝まぬ。神を商法にしてはならぬぞ。 御祈祷料があったり、お守札に定価がついていたり正に商売、商品に等しい。お道の教師たる者、教会家族の生活立ちゆきのため同…
和賀心教典 第94節 1987年10月16日 信者に不同の扱いをすな。 物を余計に持って来ると、それを大切にするようなことではならぬ。信心の篤いのが真の信者じゃ。 神の氏子としての見方を誤るなということである。大人と子供を平等に扱えというのではな…
和賀心教典 第93節 1987年10月16日 氏子は神の守りをしておる者を神と心得て参詣する。 守りが留守なら、参詣した氏子は、今日はお留守じゃと言おうが。神の前をあけておくことはできぬ。万事に行き届いた信心をせよ。常平生、心にかみしもを着けてお…
和賀心教典 第92節 1987年10月16日 神は一体じゃによって、此方の広前に参ったからというて、別に違うところはない。 あそこではおかげを受けたけれど、ここではおかげが受けられぬというのは、守り守りの力によって神のひれいが違うのぞ。神の守りを…
和賀心教典 第91節 1987年10月16日 もとをとって道を開く者は、あられぬ行もするけれども、後々の者は、そういう行をせんでも、みやすうおかげを受けさせる。 教祖は天地の心と人間氏子の心が一つになって拝み合い、あいよかけよで立ち行くことを、神…