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今日のご理解(2023年8月24日)

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理Ⅲ・御道案内・28
一つ、諸人いずれの神仏様へ参詣いたしても、先祖より続きて、度ごとに願かけのみして御礼届けということせず。たとえば神仏様へ借銭に相なりおる道理にて、これ、ご無礼、罪科と相なりおるとの、のたまい。諸人ご拝奉りても、まず、このお断りを申し奉り、朝は夜前無事の御礼申しあげ奉り、暮れには、その日の無事の御礼届け申しあげ奉るべし。


教会長のご理解
教典の全体を頂きますと、天地の親神さまは人格を持たれたお方であることが分かります。そこに、神様に祈念するのでも、「人にものを言うとおりにして拝めい。(理Ⅲ・尋求教語録・192)」と仰せられるわけです。あるいはまた、「悪かったと自分に得心してお断りを申せば、神様は叱ってはくださっても、罰はお当てなさらない。すぐにお許しくださる。神様は、常に氏子かわいいとの思いでおられるのである。(理Ⅱ・小林財三郎の伝え・11)」とありますように、どこまでもものの道理の通る人格神のお方として、天地に顕在してあることが理解できます。
そこに、人間は神様の分け御霊でありますから、私共も神様と同様の感覚を頂いているのでありましょう。
ですから、世話になったらお礼を申し上げる、無礼があったらお断りを申し上げる、困ったことがあるならお願いしお頼みする、などは人間としても天地の道理にかなう当然のことでありましょう。
いつでしたか、テレビである仏教徒の方が、「願ってはいけない。願うのは極楽浄土に行くことだけ」と言ってありました。親の心子知らずとはまさにこのことでしょう。
「此方の信心をする者は、一生死なぬ父母に巡り合い、おかげを受けていくのである。(理Ⅱ・福嶋儀兵衛の伝え・2)」とあります。もちろん、親しき仲にも礼儀ありでありましょう。
教祖様が四十二才の大患の時に医者も九死一生と言う状態の時に、教祖は神様に何と言って、それでおかげを受けられたでしょうか。

仲原教会での御教え 金光教教典からの一節を取り上げ、解説をつける今日の指針今日のご理解とは

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