今日のご理解(2023年5月3日)
理Ⅱ・藤井広武の伝え・1
見たこともない所のことを見たように、ないものをあるように歌に詠む歌人もある。此方は、見ない所を見たように、ないものをあるようには言わない。この六畳一間の内を動かないが、ここにいながら天地の大道理を伝えるのである。
教会長の御理解
「此方は、見ない所を見たように、ないものをあるようには言わない」と。
よく考えてみますと、教祖さまが七墓を築かれた時代に、一生懸命にすがっておられた神仏、すなわち伝統宗教というものは、すべて、誰も見たことがない、誰も触れたことがない、そういうお方を拝む対象としています。その姿と称する物も、木で造った、金で造った、石で造った、というようなものばかりです。はたして実際に居られたのか、または今も居られるのか、確かめようにも確かめるすべもないお方ばかりです。まあ、そこをそうだと信じるからこそ、信じる心の「信心」というのかもしれません。
一方、後に教祖が確立されたお道では、
「しんじんとは、信の心でないぞよ。此方は、しんじんは神人と書くぞよ。(理Ⅰ・近藤藤守の伝え・66)」
とあります。
神と人との関係を当然のこととしての道、という意味になりましょう。それはそうですよね。教祖が交流されたのは「天地三神」というお方ですから。
太陽も月も肉眼で見ることができるお方です。地も実際に触れることができます。さらには、地上のすべての生命体は、このお三方のおかげで生かされて生きております。これは信じる信じないの問題ではありません。ありのままの事実を認めるかどうか、ということになりましょう。まあ、人は好き好きで生きていますから、「ないものをあるように」言うことも、めいめいの自由でしょうから、それはそれでよろしいでしょう。
けれども、改めて思いますね。お道は、どこまでも「天地の大道理を伝えるのである」と。
仲原教会での御教え 金光教教典からの一節を取り上げ、解説をつける今日の指針今日のご理解とは
