今日のご理解(2021年11月5日)
金光教教典p434の2節と3節です。
理Ⅱ・石田友助師の伝え・2
天の恩を知っても地の恩を知らないのは、父のあることを知って母のあることを知らないのも同じことである。しっかりと地形をついておかないと、何事も崩れてしまう。
理Ⅱ・石田友助師の伝え・3
重い物を背負っているか担いでいれば苦しいが、そうではないから信心は楽である。家業を勤めながら信心をせよ。氏子から神へ暇を出すことはあるが、神から氏子へ暇を出すことはない。
教会長ご理解
「世話になる全てに礼を言う心」とは本教における有名な教えですが、では、たとえば天であるところの太陽にお礼を言う人がどれくらいありましょうか。実際にその無限の恩恵を私共が受けている事実がありながらです。まして大地の御恩徳に対しては、もう御恩すら感じてないかも知れません。当たり前ぐらいに思うだけで。
「天地を父母と授ける。天は父、地は母」(理Ⅰ・市村光五郎2・68)とありますから、有難いことですが、よく考えますと、いちいちずうっとお礼を言うのも、なんだか他人行儀ではないでしょうか。なにしろ親子の間柄なのですから。朝は「おはよう」、出かけるときは「行ってきます」、帰ったら「ただいま」、寝るときは「おやすみなさい」と、あいさつぐらいはするでしょうが、いちいち細かに「有り難うございます、有り難うございます」と言い続けるのも行儀はよいですが、なんだが他人行儀すぎることはないでしょうか。ではどうあったらよいのかと言えば、親神様といつも一緒におることに、なんだから嬉しく有り難く、毎日を安心と喜びで送らせて頂くということでないでしょうか。すなわち、うれしく、たのしく、ありがたく、との信心生活を過ごさせて頂くということです。もちろん、お礼を言うべきところは言わねばなりませんでしょうが、たとえば親の誕生日に何か贈り物をさせていただくというような、日ごろのお礼を形にしてお祝いするような、それが年に一度のお祭り日ということではないでしょうか。なるほど、御大祭というのは、そういうものなのだな、と改めて思います。もちろん、そうせねばならない、というものではありません。そうせずにおれない、嬉しさのあらわれなのです。
そういう親神様との親密な間柄とならせて頂きたいものです。
仲原教会での御教え 金光教教典からの一節を取り上げ、解説をつける今日の指針今日のご理解とは
