今日のご理解(2021年11月4日)
金光教教典p551の57節です。
理Ⅱ・近藤藤守師の伝え・57
神の広前を勤める者は、神の守り、神の前立ちである。神のお手代わりである。
教会長ご理解
取次者への御理解ということになりますが、そうでない方も参考として下さい。
「お手代わり」という言葉は、教祖のお言葉としてはここと、教祖が亡くなられる前に「代わりを勤めよ」と言われた藤井恒治郎師の時だけです。本教では、教会の取次者のことをよく「金光大神のお手代わり」と言っていますが、ここの御理解を頂きますと、実は「神のお手代わり」、天地金乃神様のお手代わりと言うことになりましょう。天地の親神様のお手代わりなのです。ということは、天地の親神様のお心をもって勤めねばならないことになります。まさに神の心を心として取り次がねばならないということです。すなわち、我流ではなく、天地金乃神さまの御流儀で、敢えて言えば金光大神様の御流儀でということになりましょう。
ですから、やはり天地の親神様のお心というものをよく知っておかねばならないでしょう。
それには何と言っても天地のご恩恵をよくよく分からせてもらい、万物を生かしてやまない天地の親神様の親心を知ることが先ず大切でありましょう。
「親神様は人間氏子がかわゆうてなられぬのぞ。(理Ⅲ・尋求教語録・3)」とあります。また、だからこそお叱りになることもありましょうし、親心は複雑です。教祖さまのみ教えをよーく勉強して神習うしかないと思います。
よく、教会でも、親教会、またその親教会、反対に、出社、孫教会など、いろいろと手続きがあると言われる方もあり、その手続きを踏むことが「道」であるという人もあります。けれども、どうも、人間心で、まるで親分子分のような、そんな考え方をされてあるようです。天地の親神様のお手代わりとして自分はいるのだと思えば、そんな考えにはならないはずですがね。
合楽の初代の教えとして「道という言葉に迷うことなかれ 道は教えを踏むほかはなし」とあります。つまりは教祖金光大神様の御理解をもって、天地の親神様の教えを分からせてもらう、そのお心を悟らせてもらう、それが「お道」なのです。我流ではとかく信心が難しいことになりがちなようです。
仲原教会での御教え 金光教教典からの一節を取り上げ、解説をつける今日の指針今日のご理解とは
