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今日のご理解(2021年10月11日)

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金光教教典p631の14節です。
津川治雄の伝え・14
信心していれば、目に見えるおかげより目に見えないおかげが多い。知ったおかげより知らないおかげを受けることが多い。後で考えてみてはじめて、あれもおかげであった、これもおかげであったということがわかるようになる。そうなれば本当の信者である。

教会長ご理解

信心していても、おかげをおかげと思っていない人が多いということでしょう。私のやり方が良かったからこうなったと得意顔だったり、とかく神様へのお礼の気持ちが欠けたりするものです。
なにもかもが天地の親神様のおかげなのです。
 私は、ホームレスの人を見ると、胸が締め付けられるような気持ちになります。なぜなら、それは私の姿だからです。もし信心がなければ、神様のおかばいというおかげがなかったなら、私も同じ姿だったでしょう。
 妻が居て、四人の子供を頂き、それぞれ最高の連れ合いを頂き、孫を八人も頂き、そして仲の良い兄姉、なにより長命だった父と母と。もう何もかもが私という人間を見つめたときに、あり得ないのです。夢のような毎日なのです。妻と息子夫婦と夕食のテーブルを囲んでいたとき、あまりの幸福感に目がくらむような思いがしたことがありました。どうかなるのではと、あわてて気を引き締めたことでした。
 百歳と二ヶ月で逝った父が、九十いくつだったでしょうか、膝もだいぶ弱っていて、時々転ぶ事がありました。神様のお広前に参るときにも転ぶのです。それで兄が心配して言ったのです。「わざわざお広前に出てこなくとも、部屋から拝んだらどうですか」と。父は「わかった、わかった」と申しました。
 ところが私が行くと、やっばりお広前に出て拝んであります。そして、私にこう言うのです。
 「兄ちゃんは、ああ言ってくれるがのう、それがもう、神様にお礼を申さずにおれんのじゃ。お広前に行かずにおれんのじゃ」と。
 父は延べ十四年間戦争に行っていました。最初に組んだ二百人ほどの小隊中、生き残ったのは自分一人だけだった、と言っていました。しかも最後まで病知らずのおかげも頂いた人でした。父としても、あれを思い、これを思い、もう神様にお礼を言わずにおれなかったのでしょう。
 父の葬儀の日に、父の死を知らない人から大きなモナカのお供えを頂きました。それには大きな字で「百福百壽」とありました。天地の親神さまの大いなる祝福を感じずにはおれませんでした。もちろん、父の霊前にお供えさせて頂きました。

仲原教会での御教え 金光教教典からの一節を取り上げ、解説をつける今日の指針今日のご理解とは

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