今日のご理解(2021年10月5日)
金光教教典p169の3節です。
お知らせ事覚帳26.3
午(明治十五年)二月四日早々お知らせ。
一つ、金光大神、子供、孫のこと願い(え)。何事も巡り合い。病気は時々にできても、治ること願い(え)。何事ありてもびっくりすな。日天四がおる間は苦世話にすな。親のようなもの。子供が、親がおればよかろうが。天地金乃神がおらぬようになったら闇。日天四が死ぬることはあるまい。万劫末代、代々子孫繁盛願い(え)、とお知らせ。
教会長ご理解
明治十五年ですから、教祖さまの御晩年の神様からのお知らせということになりますが、明治六年四月四日のお知らせ(105pの14)と併せて頂くと興味深いです。そこには、
「何事もみな天地乃神の差し向け、びっくりということもあるぞ」とあります。けれどもここでは、
「何事も巡り合い。病気は時々にできても、治ること願い。何事ありてもびっくりすな」とあります。
つまりは、何事もみな天地乃神の差し向けであり、巡り合いとなって、病気があるのもそうであり、けれども治ることを願えと。びっくりするなと。親神がついておるからよかろうが。心配すなと。
あたかも、病気なら病気をめぐりとして差し向けられながらも、治るように願え、治してやる、と言われる、まるで天地三神というお方のお心の複雑さを見るかのようです。興味深いですねえ。
そう言えば、慶応三年十一月二十四日のお知らせには、「日天四の下に住み。人間は神の氏子・・・・身の上のこと、なんなりとも実意をもって願え」とありますよね。いわば、「人間は神の氏子」宣言であり、何でも私に願いなさい、という親神様としての表明ですよね。
それでいて、「何事もみな天地乃神の差し向け、びっくりということもあるぞ」なのです。ややこしいと言えばややこしいですね。
九月二十三日の御理解で、「めぐり」と「肥料としての肥溜め(人間が生理的に出した糞尿)」の話をしました。そして「大難は小難に、小難は無難にしてもらうよう、何事にも心がけて信心するのがよろしい」が大切とも申しました。
ですから、「病気は時々にできても、治ること願い(え)」で、願わせてもらうことをして、それで治ったら小難ですんだということになりましょう。教祖さまが亡くなられる二ヶ月前に病気をされて、神様が「一心願い(え)、治る」とお知らせとあります。それで、「仰せどおり治りてみれば、ありがたしこと」と書き記してあります(p177 8節の13項と14項)。
いかに願うことが大切かが分かりましょう。それを神様が求められてあるのです。
仲原教会での御教え 金光教教典からの一節を取り上げ、解説をつける今日の指針今日のご理解とは
