今日のご理解(2021年9月18日)
近藤藤守師の伝え・5節
明治十四年の春の半ばごろ、四度目の参拝をした。その時、
「近藤さん、世には妙なことがあるもので、人を助けると言って、かえってその人を苦しめている者がある。人が、困ったから金を貸してくれと頼みに来る。そこで金を貸してやると、その人は、ありがとうございますと喜んで帰るが、もともと困って借りた金であるから、返済の期限になっても返すことができない。そうなると、貸した方から訴え、借りた方が苦しむということになる。これでは、人を助けるのではなくて人を苦しめるというものであろう」
と仰せられた。
教会長ご理解
イスラム教でもキリスト教でも、金を貸して金利を取ってはならない、としています。キリスト教の場合はもう建前に過ぎませんが。いずれも同胞から取ってはならないであり、外国人からは取ってよいとなっていますから、同じ信仰者同士の互助的なものが根底にあるようです。
金光教祖の場合、全く違います。どこまでも人が助かる立ち行くとの天地の親神様のお心を汲んでのこの御理解だと思われます。誰であっても金を貸したら返済期限を過ぎても、訴えたりして苦しめるな、というのです。
このようなことをそのまま実行されてあったのが、三代教主金光様でした。多くの人の金銭貸し借りの保証人になってあったのです。それはもう、「保証人になってくれる人が他にいませんので、金光様、保証人になって下さい」と泣きついてくる人がけっこうあったのです。もちろん迷惑にならないように返済する人もありました。けれども中には、いいかげんにして放り出してしまう人もあり、それで金光様がそのお金を返済されることが何度もあったのです。それで、教主である金光様が事務の会計課に行って、給料の前借りをされる姿が見られたとのことです。
どのような場合であっても、神様のおかげを頂かねばなりません。またの御理解にも、
「神信心をしておる者は、金の利を見ようとしてはならぬ。金の貸し借りは人間不和のもとじゃによって、万一にも金を貸してやったら、やったと思うておれい。(理Ⅲ・尋求教語録・190)」
とあります。
どこまでも人が助かる立ち行くための道であると言うことになりましょう。
仲原教会での御教え 金光教教典からの一節を取り上げ、解説をつける今日の指針今日のご理解とは
