第97節
神を拝む者は、拍手して神前に向かうてからは、たとえ槍先で突かれても後ろへ振り向くことはならぬぞ。
物音や物声を聞くようでは、神に一心は届かぬ。
赤い炎も白く見えるほどの時、信心の佳境がある。神に向かう者の姿勢である。問題が問題にならぬほどの信心をさせて頂きたい。親が子を思い子が親をおもうの一念が、神さま一直線の烈しい尊い姿になるのである。神さまを尊び得ぬ人は、すべての尊いことを知るに縁の遠い人である。「神に一心」とは、神を尊いものと実感する為の、白熱した一途の心を言うのである。(昭47・7・17)
武士の心掛けとして、たとえ不意討ちに遭った時、鯉口三寸切らずして討たれた場合、武士としての心得がなかったとして禄を召し上げられたという。又、場所柄もわきまえず鯉口三寸でもぬいたら、抜刀したとして家は断絶、身は切腹というきびしい心得を教えた。
信心も神に向かう心掛けが真剣でなけれバならぬということです。私は鉄道レールの中で祈念をする気持ちで神前に向かいます。(昭和52年)
神信心をするものは、一度取次ぎを頂いた上は、たとえいかなる事になりてもおかげと確信し、後ろを振り向かず、只前進あるのみ。難儀にまどわされたり、周囲の人々の口端が気になるようでは神に一心は届かぬ。私一人を育てるために、天地総がかりでの働きがあっていることを知らねばならぬ。育てる親も、しら真剣なら育てられる子も又真剣でなければなりません。(昭58・7・26)
金光教祖の御教え183か条について、合楽教会初代教会長大坪総一郎 師が、その要諦・真髄を説かれたものを集録和賀心教典とは
