第76節
人間は人を助けることができるのはありがたいことではないか。
牛馬はわが子が水に落ちていても助けることができぬ。人間が見ると助けてやる。人間は病気災難の時、神に助けてもらうのであるから、人の難儀を助けるのがありがたいと心得て信心せよ。
人助けが楽しみ。なんと素晴らしいことでしょうか。助けを求められ助けてやれること、助けを求められても人間ではどうにも出来ぬこと。よし助けることが出来たとしても、結果的に見て助けたことが助けたことにならない事実が多くあります。
教祖様は『人が助かることさえ出来れば』と申されて居られます。勿論、真実の助かり、根本的助かりのことであります。
私共もおかげをうけ、心からの助かりを得て、人が助かることのために奉仕させて頂きたいものであります。(昭46・7・27)
その場かぎりなら金ででも助けられる、物でも助けることは出来るが、心から助ける、又ハ永遠の助かりにつづく助かりハ真の信心による他に道はありません。助ける者自身が難儀を修行とわかり、神愛と悟り心に真の喜びをうけ、その心で人に話をしていけば、そこから「神の示現」(神仏が不思議な働きを示し現わすこと)がおこり自他共に助かることの出来る道が開かれ、人間最高の生き甲斐ある信心生活が営まれるようになる。(昭52・7・28)
いかに幸福の条件に恵まれていても、安心感は神様に許されなければ絶対に頂けぬものです。歓喜の生活、それは私共の願いと神様の御心が交流するところから湧きいずるものです。
一滴の水でも谷川にそそげば谷川の水、大海に流れれば大海の水。確かに私共の願いや働きは一滴の水にも等しいものかもしれません。しかし神様の願いと一つ心になる時に、思いもかけない神のヒレイを受けることになるのです。お道に御縁のある人ことごとく、和賀心時代顕現の神願成就の使命に燃えたたせて頂きたいものです。そこから生まれてくる喜び安心こそ不壊のものであり、それが真の助かりであり永遠の助かりになるのです。(昭58・7・5)
金光教祖の御教え183か条について、合楽教会初代教会長大坪総一郎 師が、その要諦・真髄を説かれたものを集録和賀心教典とは
