1. 和賀心教典

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第64節

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此方は参ってたずねる所がなかった。氏子はおかげを受けて遠路のところを参って来るが、信心して徳を受けて、身しのぎをするようになれ。

御取次を願い御取次を頂いて帰る。私共の願いを聞いて頂き、又その返事を聞いて帰ること。それを実行することが、お徳を受け身凌が出来るようになることであります。

先ほど長い間信心しておる或る老婦人の方が三カ月ぶりで参拝されました。人間関係の問題で悩んで居られました。そのとき、私は「それハ難儀のように見えますが、あなたに対する神さまからのお供えですよ」と申しました。

「今日はあのお話を頂いて少しは心が楽になりました」と御礼申されましたが、そのことを神さまからのお供えとして、又御事柄として有り難く合掌して受け得られる時、そのまま身凌の出来るお徳になるのであります。(昭46・7・15)

求めているものが与えられない淋しさ、悲しさ。時には腹立たしくなることさえある。我が身の不徳を悟り、信心の奥処を尋ねたずねして行くうちに心も開け(心眼)求める以上、願う以上の夢にも思わなかったおかげの世界に住むことが出来るようになる。『信心して徳を受けて身凌をするやうになれ』とはこのような事をいうのである。(昭52・7・16)

赤ん坊の時には食べ物もめめて食べさせてもらう。自分で箸を取り茶碗を持って一人で食べるようになる。これが身凌が出来る姿である。信心も正調に育てば誰でも身凌が出来るようになるのに、何時までたっても信心が育たない。何時までもめめて食べさせて貰うことが信心のように思うておる。信心が正調に育たないから育たぬ。(昭57・7・24)*めめて=幼児に食物をかみくだいて与えること

金光教祖の御教え183か条について、合楽教会初代教会長大坪総一郎 師が、その要諦・真髄を説かれたものを集録和賀心教典とは

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