第62節
神信心も手習いも同じこと、一段一段進んでゆくのじゃ。
昔から、人もよかれわれもよかれ、人よりわれがなおよかれというておるが、神信心をしても、わが身の上のおかげを受けて、後に人を助けてやれ。神信心も手習いも同じこと、一段一段進んでゆくのじゃ。にわかに先生にはなれぬぞ。
私的の助かりから人間としての真実の助かりをうけ、お道の信心に縁を得たことが、しみじみと有難いと思う心が「和賀心」。
この心で他人のことを願い、教会のことが願わずにおれぬ愛教精神が生まれ、教団全体の発展が願われ、世界中のことを真でねがわれる信心こそ、神の願いが成就することであります。このような信心が一段一段進んで行かねバなりません。(昭46・7・13)
信心による助かりとは、心安らぎ心豊かになること。『我身の上のおかげを受けて』ということハこのようなおかげを言うのである。悲しみの中にも喜びの中にもこの歓びが湧いてくる。水は低きに火は上に。これハ天地の道理である。道理に従うからその折々のリズムが生まれてくる。神の神用(神にもついられるの意)もついてくる。神様に使ってもらわねバ人は助からん。(昭52・7・14)
今までの過去の宗教観念、道徳観念、常識観念をかなぐり捨てる。そこから金光教の本当の助かりが得られる。『我身の上のおかげを受けて後に人を助けてやれ』とは。まず教祖の御教えが人間の助かりの最高理念と信ぜられる所まで高めていけ。合楽理念は、その手掛かりを説く。(昭57・7・22)
金光教祖の御教え183か条について、合楽教会初代教会長大坪総一郎 師が、その要諦・真髄を説かれたものを集録和賀心教典とは
