第58節
人が盗人じゃと言うても、乞食じゃと言うても、腹を立ててはならぬ。
盗人をしておらねばよし。乞食じゃと言うても、もらいに行かねば乞食ではなし。神がよく見ておる。しっかり信心の帯をせよ。
はやり唄にも「松葉の模様が気に入った枯れておちるも二人づれ」この打ち込みがあれバ信心も本当なものだが、又の文句に「紅葉の模様が気に入らぬ紅葉色づきゃ秋が来る」と言うが、これではならぬ。信心も少しはわかり佳境に近づいて来る。何かがある、もう動揺する。信心の帯がシッカリ出来ておらぬからである。信心は神が見給う聞き給う世界に生きぬくことである。(昭46・7・9)
念ずるとは今の心と書いてあります。
今を心にかけるということは心に神を頂くということ、つまり心行そのものです。腹を立てておる内容をよくよくしらべてみると、御礼を申し上げることに気づきます。
久留米の今村アサエさんが今日の夏期信行にバスで参拝の途中、車の中で息子さんの事でちょっと不足を思いながら、そのままウトウトしておられましたら、お夢の中で大きな建物がガラガラと音を立ててくずれるところを頂かれたそうです。腹を立てたり不平不足を言うことは折角のおかげをこわしてしまいます。(昭52・7・10)
一把の割木がある。ゆるんでいる。数本加えたらシッカリと締まった。『シッカリ信心の帯をせよ』とは、その内容を加えて行くことである。*木とは気、即ち心のこと(昭57・7・18)
金光教祖の御教え183か条について、合楽教会初代教会長大坪総一郎 師が、その要諦・真髄を説かれたものを集録和賀心教典とは
