1. 和賀心教典

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第45節

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神信心して身に徳がつくほど、かがんで通れ。

世に、三宝様踏むな、三宝様踏むと目がつぶれるというが、三宝様は実るほどかがむ。人間は、身代ができたり、先生と言われるようになると、頭をさげることを忘れる。神信心して身に徳がつくほど、かがんで通れ。

とかく、出るくぎは打たれる。よく、頭を打つというが、天で頭を打つのが一番恐ろしい。天は高いから頭を打つことはあるまいと思おうけれど、大声で叱ったり手を振りあげたりすることはないが、油断をすな。慢心が出ると、おかげを取りはずすぞ。

難儀という鎧兜をつけている時は、身動きも出来ず頭も上げられぬが、少し形のおかげをうけると、すぐ思いあがり頭がさげられぬ。人間の浅はかな悲しい性である。徳がうけたいものである。真の徳が身につけば、自ずと辞をひくうせねばおられぬ。身に徳をうけてゆく為に、いよいよ成行きを大切に、三宝様(世に言う大切なもの、神さまの働きそのもの)をおろそかにせず、自分の足元をみつめて暮らしたいものである。(昭45・7・27)

お徳をうけよ、お徳をうけても油断すなとの御神慮を感じます。

本日、教徒新聞の「先師を語る」欄に安武松太郎師のことが掲載されておる中に、「千にあまる会葬者が教会から墓地まで続いた。当日は雪と雨にはさまれた好天気で、ひとえにお繰り合わせであった」と。ここまで読ませていただいた時、しばらくどうする事も出来ぬ感動を禁じ得なかった。四十五年間というお取次のおごくろうの中には雨の日も雪の日も又、あったことだろう。それら一切を神の恵みとして受けぬかれた師のご信心は正に、この御理解を守り現わされた鑑ではなかろうか。(昭51・7・28)

信心ハ本心の玉を研くものと知れ。有難い心も育ってくる。真心もみえてくる。驕る心もかげをひそめる。おかげハいやでもついてくる。(昭57・7・5)

金光教祖の御教え183か条について、合楽教会初代教会長大坪総一郎 師が、その要諦・真髄を説かれたものを集録和賀心教典とは

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