第43節
死んだからというて、神のおかげを受けずにはおられまいが。死に際にもお願いせよ。
信心の道理がわかっているくらいで出来ることでないが、死に際にもお願いせよと言うことは、花でいうなら散り際ということになるだろう。してみると又、次の年もきれいに咲かねばならぬ。願わねばおれぬのだけれども願える人は少ない。次の世を信じられぬからである。『死んだからと云うて神のおかげを受けずには居られまいが』とハッキリ教えて下されてあるのに。(昭45・7・25)
露草の 露よりもろき 生命かな
故人になられた久富くにかさんが、生前に頂かれた御理解です。現世において生きたところで、五十年か百年です。魂の世界は、かぎりなき無明の世界と頂きます。光明世界とは、自らが頂きもつところの光によるもので、光をもつ者のあるところこそ光明の世界です。現世にあっては、いよいよ魂を清め高めておかぬと、死に際だけでは心もとないかぎりです。(昭51・7・26)
あの世、この世。
人の世、神の世。
人、人の世に生まれ、
人の世のはかなさに目覚め、
神の世の住人にならんと欲する時、
いよいよ御教えを行ずる他に道なし。
この世はあの世のためにあるのです。(昭57・7・3)
金光教祖の御教え183か条について、合楽教会初代教会長大坪総一郎 師が、その要諦・真髄を説かれたものを集録和賀心教典とは
