第39節
此方の行は水や火の行ではない。家業の業ぞ。
お道の信仰による行の目的は神に向かう神に近づくにあります。家業に精を出して居れば修行しているような思い方をしてはなりません。家業の行の中に真に有難し、又人が助かることさえ出来ればの精神が育ってゆかねばなりませんが、なかなか難しいことであります。そのような神心、奉仕の心が頂ける為にやはり火の行も水の行も、又心行も必要であります。
すべての行はそこが体得出来て家業になり、はじめて「家業即行」「行即家業」ということが出来るのです。本来、修行の眼目は己を乱さないというにあります。火にも焼けない、水にも流されない自分を修めてゆくのです。(昭45・7・21)※神に向かうための形の行も心の行も、行という行がすべて大切であります。その精神を体得しての家業になりますと、教祖の神意、いわゆる家業の業の行の意味がわかります。
生活そのものが行ではなく、その内容如何である。生業が生活の為でなく、生かされてある自覚が神恩報謝の真となってはじめて家業の行と言えるのです。只、忠実に働くというだけではありません。
今朝、戎浦さんから電話がかかって来ました。或る病院に勤めておられます。院長先生が大変ひどい方らしいのです。そのために従業員の人達が長く続かぬような始末です。その事で毎日、不愉快な日日でした。二、三日前より思いを変え、院長の言われることをそのまま親先生の言われることだと思い頂く心になりましたら、毎日が楽しい有難いものになりましたというのです。この頂き方こそ正しく家業の行というのではないでしょうか。(昭51・7・22)
家業の内容が行になる時、家業により徳を受けてゆける道である。勿論、内容は心行に通ずるものでなければならぬ。合楽において表行全廃のおかげをうける様になって七年、いよいよ「心行 信行 家業の行」に取り組むことになった時点より教会の比礼ハ倍増している。ちなみに火や水の行によるおかげは質屋で金を都合するようなもの。心行、家業の行ハ自然の恵みで都合がつくようなもの。(昭56・7・30)
金光教祖の御教え183か条について、合楽教会初代教会長大坪総一郎 師が、その要諦・真髄を説かれたものを集録和賀心教典とは
