1. 和賀心教典

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第37節

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生きておる間は修行中じゃ。

ちょうど、学者が年をとっても眼鏡をかけて本を読むようなものであろうぞ。

今朝より、福岡の秋永由喜子さんがお参りして来て「先日よりお夢を頂きました。北野町の中村のおばあちゃんが御結界の前で寝ておられますから近づいて見ると、死んでおられました。親先生がすぐに御神前に出られて御祈念をなさいますと、生き返られピンピンする様になられた」というお届けでした。正しくこの秋永さんのお夢の様な状態が中村さんの信心の上に起こっております。最近、お孫さんの病気で以前にも増した若い者にも負けんような信心が出来て、毎日、生き生きと参拝修行が出来ています。

ここで思うことは、折角生きて居る間が修行なら、枯れたような修行でなく生きた修行をさせて頂き、お徳につながる修行で一生を終わりたいものです。生きた修行とは喜びが伴うた修行を言うのです。(昭45・7・19)

花の生命は短くて 苦しきことのみ多かりき 信心がないなら、この世は苦の世、苦の世界。信心しても御利益を追うのみの信心なら、やはり修行がつらい。信心を求めての苦労なら、力を受け徳が身について行くのがわかるようになるから、楽しい苦労である。これが真実の修行になる。楽をしようには楽ハなく、楽ハせんぞの信心に極楽がある。清く生きようとするから難しい。此の身このまま助けて下さる神様である。すなわち、即身成仏を願う信心である。(昭51・7・20)

「この世はあの世の為にあるのだから」の一言につきます。難儀の元ハ神と氏子の間にはられた光明電線のようなものである。有難く修行として受けてゆけば、光ともなり徳ともなるのです。(昭56・7・28)

金光教祖の御教え183か条について、合楽教会初代教会長大坪総一郎 師が、その要諦・真髄を説かれたものを集録和賀心教典とは

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