第1節
今、天地の開ける音を聞いて、目を覚ませ。
病気や難儀のつづく時、今こそ天地の開ける音を聞くときであるが、信心にならぬから目がさめぬ。目をさますということは大真理の喝破である。本当の本当をわかることである。教えたから、習うたからわかるものではない。一心の真心、不乱の信心が必要である。
一、湯川安太郎先生ハ、神さまが御主人、氏子は番頭。
一、安武松太郎先生ハ、一切が神さまの御物。
一、私は、一切が神さまの御事柄と悟った。
それぞれ天地の開ける音を聞いて眼をさましたのである。そこから限りないおかげの道が開ける。(昭44・7・18)
天地の開ける音を聞くために、先ずは耳掃除から始めねばなりません。何か障害になるものがつまっていたり、肝心の鼓膜が破れていては、いかに大音声で叫ばれても聞くことは出来ません。いよいよ研き、いよいよ改まり、限りなく美しい心になる精進こそ、天地の開ける音を確かに聞きとることの出来る第一の手立てです。(昭50・7・13)
『おかげは和賀心にあり』として天地書附を千遍となえても真実のおかげにはならない。断片的なものでなく、こわそうとしても壊れない不壊のもの、不壊の和賀心を頂きたい。天地の開ける音を聞いて眼をさますということは、一切神愛と悟れた時である。そこには御礼の対象、喜びの対象にならざるものなし。難儀も苦労もここの所をわからせたい神愛の現われである。(昭55・7・23)
金光教祖の御教え183か条について、合楽教会初代教会長大坪総一郎 師が、その要諦・真髄を説かれたものを集録和賀心教典とは
