一、慢心が大けがのもとなり。
信心はえらくなるためでもなければ、かしこうなるためのものでもない。信心は有難うならせてもらう稽古である。おかげを受けるために信心すると、おかげを受けて慢心になる。信心、真心、神心を求めての信心には、慢心の出ようがない。が、慢心が出るほどのおかげも受けてみたいものです。(昭44・6・20)
一、これが本当だと思いこむ心は慢心です。本当の本当を求める姿勢が肝要であります。
一、慢心があると広さは出来ても深さがなくなります。自分を掘り下げようとしないからです。(昭49・7・16)
教主様御歌
こればかりのことなるからによからんと 心ゆるすにあやまちおこる 台風の眼にあたるところは無風状態ということです。無事息災のときこそ油断なく信心をすすめるときです。教主様の御歌と併せて頂いて下さい。(昭54・7・26)
一角の信心が出来、一角のおかげを受けるようになる頃から慢心が出る。信心は、さらに更に深め広げてゆくものである。(昭60・7・24)
金光教祖の御教え183か条について、合楽教会初代教会長大坪総一郎 師が、その要諦・真髄を説かれたものを集録和賀心教典とは
