一、打ち向かう者には負けて 時節に任せよ。
勝つ力をもっていて負けることはむつかしいことであるが、信心をいただいておると、それがむしろ楽しゅうなってくる。そうなれば信心も一人前である。時節をまっておれば自他ともに助かっている体験が生まれる。私の信心の信条である成行きを大切にとか、又は尊ぶという信心が身についてくると有難い。神さまが見ておいでの世界に生き抜くことが信心と信じているからである。「馬鹿とあほうで道を開け」と福岡教会の初代は教えておられる。(昭44・6・22)
実力なしにハ勝てぬ。負けることがわかっていて討ち向かうほどあわれなことはない。返り討ちにあうは必定だからである。負けて勝つということは、時節到来するまでにエネルギーをたくわえて待つのである。只待っておれバよいというのではない。(昭49・7・18)
燃ゆる心ハおさえることは出来ません。おかげの水を打てば治まります。治まってみれバ何も争うこともないことがわかります。勿論このみおしえハ勝負を争う勝負事でハありません。勝負を楽しむことでも、「よい勝負が出来ますよう」に願わねバなりません。豊かなる心をつくるに 己が先づ打向ふてくる人に勝をゆずらん 打向ふものには負けて祈るこそ 人をば救ふはじめとぞ知れ(昭54・7・28)
妙賀栄える富貴繁昌 負けておれる心が尊い。相手の心を祈れる心がさらに有難い。そういう時に感じる心が妙賀である。妙賀には、必ず富貴繁昌がともなう。(昭60・7・26)
金光教祖の御教え183か条について、合楽教会初代教会長大坪総一郎 師が、その要諦・真髄を説かれたものを集録和賀心教典とは
