一、神信心のなき人は親に孝のなきも人の道を知らぬも同じことぞや。
人の世の真実を知らずにいる人が、どれほど居るかわからない。金光大神ハ此の世での人間が真の幸福になる道を教えて下さった。然も、この世での幸せがあの世にも持って行け、此の世にも残しておける道を、実意丁寧に話にして残して下さっているのである。その真実の中に、素直になることで人間が幸福になれる。底抜けの素直さが出来れば、底抜けした限りないおかげが受けられる真実を、身をもって証を立てよう。何事も素直心の一つにて 雲の上までのぼる道あり(昭43・7・27)
信心するなら拝むだけ参るだけでなしに、信心の道を習い行い行じて、おかげの道を体得し、世の中のほとんどの無信心の人達に、教え導いてゆかねバならぬ。みちびきの親になるこそ尊けれ 人も助かる神も助かる(昭49・7・3)
天地の大霊に対する小天地的小分霊である私共人間が、天地との関係を知れば知るほど、その道理にもとづく生き方をせずにはおれぬ。それを教祖ハ親神と氏子と説かれた。いわば人間ハ神の真子であり愛子である。私共がその心になって子が親に対する思いをもって向かえば、そこからなるほど親神様だなあというみかげの実感が限りなく広がって行く。信心はそこがわかり、ここを進めてゆくのがお道の信心である。世の中の難儀のもとは 人々の親神の心に添わぬからなり(昭54・7・13)
御理解に『昔から、あの人は正直者じゃ、神仏のような人じゃという者でも、だんだん不幸なことが重なって、世間では、どういうものであろうというようなことがあろうが。なにほど人に悪いことをせぬ正直者でも、人がよいのと神に信心しておかげを受けるのとは別ものぞ』と教えられるように、道徳的観点から言う人の道、又は孝の道とは自ずと内容の違ったものである。天地に通う道、真の親孝行の道がついてくる。因縁に苦しむことなく罪悪にとらわれることなく、究極、金光大神の世界、喜びの世界を究めてゆけるのが御道の信心である。(昭60・7・11)
金光教祖の御教え183か条について、合楽教会初代教会長大坪総一郎 師が、その要諦・真髄を説かれたものを集録和賀心教典とは
