一、真の道に入れば 第一に心の疑いの雲を払えよ。
疑問がおこることは、進歩している証拠であるから、そこを大切に一つ一つ聞き、又は体験によってわからなければならぬ。但し「神は絶対のもの」として疑ってはならぬ。疑問とうたがいは自ずと違うものである。道は一筋である。一心に進んで行けば疑いの門は開かれ絶対の信が生まれてくる。神は信ずる者を信ずる(昭43・7・19)
物や金は当てになりません。それと同じことが親の上にも、子供、連れ合いの上にも現われることがあります。永遠不滅なものはこの世にはありません。この世の一切のものは頼りにならんことがわかります。そうすると、最後に自分を頼ろうとしますが病気等になって自分も頼りにならんことがわかります。そこからの信心であれバ真の道も求めずにはおれず、又神を信ぜずにおれぬ体験も生まれ、疑うに疑う余地のない神を知ることが出来ます。(昭48・7・26)
おかげを受けずして、神さまがわかるだろうか。おかげを受けずして、不動の信念が得られるだろうか。御利益を言うと低級視する宗教があるとしたら、それハ片輪の宗教だと思う。おかげを重ねて行くうちに、神さまがわかり信念も確立してゆくのである。先ずハ救われよ、そして信ぜよ。疑いの雲を払えばあるものは 神愛のみとわかる嬉しさ(昭54・7・5)
神を信じて疑わない心。修行をぬきにして神の確信は、生まれない。話を聞いて頭でわかっただけでは、真の確信にはならない。火の行、水の行をする訳ではない。御教えの実践であり、心行、信行、家業の行、そこから動かぬ実証となる。(昭60・7・3)
金光教祖の御教え183か条について、合楽教会初代教会長大坪総一郎 師が、その要諦・真髄を説かれたものを集録和賀心教典とは
