一、心配する心で信心をせよ。
心配せんですむ私になれということ。心配は神様に預かって頂く。お取次を願うだけで、お取次を頂いて帰らないところに心配がはなせぬ。信心して神の大恩を知れば、無事健康、子孫もつづき身代も出来、心配はいらんようになる。お道の信心は天地の大恩を知ることである。(昭43・8・4)
吉野山 ふみ迷うても 花の中 心配の元を尋ねて求むれば氏子信心しておかげをうけてくれよの親心。心配があるからこそ一心が立つ。おかげで信心が出来ますという事になれば先ずは安心。山は雪 ふもとは霰 里は雨 いずこも同じ 神のふところ(昭49・7・11)
本来、進行とは任せすがるところからはじまるのです。信仰体験がつのれにつまれて神の確信が育ちます。心配が大きけれバ大きいだけ、おかげもまた大きいと悟り、修行力行が大切です。心配は広前に置いて帰れるだけの神さまを頂きたいものです。まかせきる心の内ぞ尊けれ 神を信ずる心厚けれバなり(昭54・7・21)
願いが大きくなると小さな心配はなくなる。(昭60・7・19)
金光教祖の御教え183か条について、合楽教会初代教会長大坪総一郎 師が、その要諦・真髄を説かれたものを集録和賀心教典とは
