一、信心は本心の玉を磨くものぞや。
本心の玉とは心の中に誰しも受けている神性のことであります。研けば必ず出てくるもの、光を放つことにもなるものです。光の前には暗いことは消えてなくなるものです。心を研こうと思えば身のまわりに一杯、研く材料がころがっています。私の信心の心得の中に「それによって研き、これによって改まる」とあります。(昭44・6・18)
光明世界に住むということが信心の目的です。光明あれば不安うれいはなくなります。金剛石も磨かずば光は出ない。心も研いて、はじめて輝きとなる。家庭の内が明るくなり、世の中をも明るくすることが出来る。神さまの願いは人間が光明世界に住むことです。(昭49・7・14)
自らの心に頼れる内容をつくれ。先ず心の垢をとれ、洗い清めることじゃ。心が輝き出す、総てが輝いて見えるようになる。心研くに砥石はいらぬ 己が心の悩みがといし 研けば輝く尊き光 周りの闇を照らすなり 世の明りともならんには 人を拝める心をつくれ(昭54・7・24)
本心に立ち返るということは、人間、この世に生を享けると同時に神性が授けられる。ところが成長するにしたがい我が芽ばえてくる。神性とは似ても似つかぬ浅ましい苦悩の道へ堕落してゆく。そうした人生の分岐点に立った時、真の道を示してくれるのが真の信心である。(昭60・7・22)
金光教祖の御教え183か条について、合楽教会初代教会長大坪総一郎 師が、その要諦・真髄を説かれたものを集録和賀心教典とは
