1. 和賀心教典

アイコン和賀心教典

一、障子一重がままならぬ人の身ぞ。

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信心の根本精神で先ずハこのところがわかるための信心修行がなされ、尚且つ御理解を広く深く受けねばならぬ。自分ではどうすることも出来ぬ。いよいよ吾無力の自覚に立つとき、はじめて神さまの前に無条件降伏が出来るのである。お任せの生活即ち、信心生活の醍醐味がひらけてくる。

三代金光様おことば

『氏子が神さままかせなら、神さまが氏子まかせになると仰せられますから。』(昭44・6・16)

思い上がった人間に知らせねばならぬ。知ってもらわねばならぬ。出来るというのが思い上がり、出来させて頂くのである。「神様のお許しを頂かねばここ一寸動けぬ私」を悟り、人間の誤を指摘導くことは、最高の「おかげ」への指針を与えることになるのです。(昭49・7・12)

神の経綸は一分一厘違わない。その中に生かされてある私どもとわかれバ、その働きに素直に合流する生き方を体得する以外に真の道も人の倖せもあり得ない。障子一重がままならぬ人の身なれど 吾神と共にありけるしるしぞみゆる成行を尊びうける生き方を 学びて永遠の生命とぞせん(昭54・7・22)

なんと悲しい迄の表現である。然しこの事を悲しい迄に感じとった時、すがらずにおれぬ、任せる外なしの心が開ける。初めて真の信心の第一歩といえるのではなかろうか。(昭60・7・20)

金光教祖の御教え183か条について、合楽教会初代教会長大坪総一郎 師が、その要諦・真髄を説かれたものを集録和賀心教典とは

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