一、表行よりは心行をせよ。
「在 平 素」(へいそにあり)
何のけいこによらず平素の心がけが大事で、ことに信心は油断が禁物。心行とは、心を研くとか、改まるということと同時に、いつも神様を思うということ。これ心行なり。四神様おことば『表行が出来ぬようでは心行は出来ぬ』思い出すよじゃ惚れよがうすい 思い出さずに忘れずに(昭43・7・5)
一、心行とは障子をしめるようなもの。表行とは雨戸をしめるようなもの。
一、表行とは身体を鍛えるようなもの。心行とは魂を清め鍛えるのが心行。
一、表行ではじまり心行で納める。
一、身体で辛抱することは表行、心で辛抱することが心行
一、表行の中に心行あり、心行の中に表行あり。(昭48・7・12)*障子と雨戸、雨戸は泥棒が入らぬように、障子は隙間風が入らぬようにしめるもの。
はがゆいこと 残念なと思うこと それを有難いと思える稽古が心行です。すべてのこと それ神愛 神願だからです。(昭53・7・22)
月そのものに光はない 太陽の光を受けて光る「猿も木から落ちる」「百足もころぶ」というたとえがあるように、自分で出来る、自分の才能だと思う、表行の根本である。自分で出来るということは、何ひとつない。出来させて頂くのである。我、無力を悟れたとき心行の根本とはなる。(昭59・7・20)
金光教祖の御教え183か条について、合楽教会初代教会長大坪総一郎 師が、その要諦・真髄を説かれたものを集録和賀心教典とは
