1. 和賀心教典

アイコン和賀心教典

一、信心する人の真の神徳を知らぬこと。

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真の神徳をさとることのためにいよいよ大道を体認して、限りなく教えの深さをさぐり広さを知り、其の喜びと楽しさを知れ。天地に満ちあふれている神徳を、体で心で体得させて頂くことが出来るであろう。奇跡的霊験は金光大神の徳、または取次者の信心により顕われるものである。真の神徳ハ頭で知っただけでなく、実感として神徳の中に生かされてある事をわかることである。その時、人は幸福である。(昭43・7・14)

天地金乃神はわれわれ人間の本体の親であり、人はみな其の神徳の中に生かされている氏子であります。神をはなれては生き得られぬものであります。氏子の信心によって神の働きを現わすのです。神と氏子は親子の関係でありますから、親孝行の心で信心すれば、神の信任を厚くすることが出来るのです。それを人間が神様から受ける神徳と言われております。石橋松次郎先生おことば『神徳は神さまの御信用じゃから』(昭48・7・21)

修行なくて真の神徳を感ずることは出来ぬ。知っただけでなく神徳ハ頂かねバならぬ。神徳の中にあっても修行なくては神徳ハ感じられぬ。真の神徳を感じるところに神恩有難しの心が生まれる。その有難しの心で修行にはげむ時、必ず誰でも神徳が頂ける。神徳を受けて初めて真の神徳を知ったということになる。神徳をわかり受けるという事ハ、修行にはじまり修行に終わる、と結論。(昭53・7・31)

ほんとうの魚好きは魚の頭を求めるという。身だけを求める人は、ほんとうの魚好きとは言えない。信心もおかげだけを有難がっておる人は未熟の証拠である。ふつうの人では頂きかねるような問題でも、それを御神意として受けとめていく。御神意がわかり真の神徳にふれていくこともできる。(昭59・7・29)

金光教祖の御教え183か条について、合楽教会初代教会長大坪総一郎 師が、その要諦・真髄を説かれたものを集録和賀心教典とは

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