一、信心してみかげのなき時は これぞ不思議なることぞ。
素直にこのみ教えを頂こう。『人間は病気災難の時神に助けて貰ふのであるから人の難儀を助けるのが有難いと心得て信心せよ』 吾も他も万物すべてが刻々に変わって行く時の流れの中ですべての事柄がおかげになっておる。だから自然の働きを大事にしながら、実意をもって御礼申さねばならぬ。五に五をたせば十になる原則があるように、神さまと私共が相より相すがり、頼み合いの信心が出来れば、当然のこととしておかげが頂ける。頂けぬときは、自らの計算違いと知れ。(昭43・7・12)
助けにゃおかぬと念願を掛けておいでになる神さま、助かりたいと願う氏子、両者が相対して霊験の現われぬはずがないと信念し、改まることに、研くことにつとめ、一心に願い、両者の仲にみかげの邪魔になっておるものはないかと、自らの心の上に反省追求を怠らず、すがってゆけば、そこからみかげがうけられる。(昭48・7・19)
思うようになるだけが霊験ではない。真心一心をもって願えば必ず手ごたえがあるものです。手応えを感ずるまで一心に姿勢を改めてゆかねバなりません。手応えそのものが霊験です。昨日、吉田先生が初めて或る御信者の帰幽祭と五十日祭を奉仕しました。奉仕を終わって感動一杯で御礼お届けがありましたが、それぞれに霊様がおかげを受けている様子をお知らせ頂き、私の様な者でも一心にお縋りすれバおかげが受けられることがわかりましたと・・・・・・・。この心を忘れるなと言うたことでした。(昭53・7・29)
打てば響くおかげの受けられるのが、お道の信心です。私は、初めてお願いに参ってくる信者に必ずおかげの験が見えてくるから一心にすがって来い、と申します。ところが大概の人が後の信心が続きません。(昭59・7・27)
金光教祖の御教え183か条について、合楽教会初代教会長大坪総一郎 師が、その要諦・真髄を説かれたものを集録和賀心教典とは
