一、わが身はわが身ならず みな神と皇上との身と思い知れよ。
我が身でないとわかればわかるほど大事にせねばおられぬ。「身を鴻毛の軽きにおく」等という思想があったが、大変なまちがいで、最も神さまに対して御無礼になることと知れ。神さまからの預かりものである身体を大事にして、公のため世のため人のために尽くすことが、神と皇上とに奉仕することである。「他が助かりさえすれば」の精神であり、働く(はたが楽になる)の精神である。(昭43・7・9)
ここ一寸、神様のお許しを頂かねば動けぬ私共であってみれば、我が身であって我が身でないことがわかります。それは心も同じであります。神様の御心に添い奉ることは、身も心も自由自在に使わせてもらうことになるのです。自由自在のおかげも又、頂けることになるのです。(昭48・7・16)
歌舞伎の殿堂と言われた歌舞伎座に浪花節が出演したというて問題になりました。けれども歌舞伎座ハ歌舞伎座に変わりありません。天皇が人間天皇を宣言されたからというても、天皇に変わりありません。時代と時節であります。「我が身どうなっても」と決心され、終戦の御決断とハなりました。言ってみれバ総日本人の大恩人です。全国民が玉砕さえ覚悟していたのですから。日本の繁栄と平和を祈るとき、天皇陛下をはじめ全国民の立ち行きと助かりを願います。やはり天皇ハ日本国民の中心です。(昭53・7・26)
神の大恩を悟ってはじめて神恩報謝の生活ができる。国恩を感じて、社会奉仕の心が生まれ、国民の務めを果たすことが出来る。(昭59・7・24)
金光教祖の御教え183か条について、合楽教会初代教会長大坪総一郎 師が、その要諦・真髄を説かれたものを集録和賀心教典とは
