一、神国の人に生まれて神と皇上との大恩を知らぬこと。
神国とは、人の世のこと。皇上は、その国の長のこと、その時代の長にあたると思われる。国恩を知れということである。どこの次部やら太郎やら分からぬようになっては、人間、世の中が立ち行かぬ。(昭43・6・16)
神の大恩が分かれば、皇上の恩も分かります。信心すれバ、するという生活意識がせしめられておるという生活意識に変わる。「せしめられて」という境地に到った時に、初めて自己の生活が天地の法則と共に動くという確かなものを感ずるのであります。生きておるのでなく、生かされてあることを悟ることが、神の大恩が分かったという第一のことであります。(昭47・7・24)
道の道たるところを究明し、人の人たる貴き道を歩む。人の世即ち神の世と悟るところに、神徳満つる中にあるを知る。高野山ハ女人禁制の山であった。時代ハ変わった。誰でも登ることが出来るようになった。奥の院の秘書に記して日く「時の権力に従へ」と。(昭53・7・3)
「人の世の習慣として」では、人間の幸福ハない。シャボン玉のような幸せでは、出来たかと思ったら、束の間に消えてしまう不安定のものでしかない。この世を神の世として頂けた時、永遠の幸福を頂き得るのである。(昭59・7・1)
金光教祖の御教え183か条について、合楽教会初代教会長大坪総一郎 師が、その要諦・真髄を説かれたものを集録和賀心教典とは
