一、わが身の苦難を知りながら人の身の苦難を知らぬこと。
自分の苦しい体験で、人も苦しかろうと、分かっておるだけではならぬ。それが祈りに、または他が助かることのための行動にあらわされなければならぬ。(昭43・6・21)
病気でおかげを受けた先生のところでは病人がおかげを受け、金銭関係で修行した人のところでは経済面て難儀をしている人が多く助かり、人間関係で修行させられ、これを克服した先生の教会では、人間関係の問題での人が多く助かる。それぞれ、その苦しみを通して実感をもってお取次が出来るからである。自らの苦難が生きてくる。信心とは尊いことでハある。(昭47・7・29)
助けると言うても、義理や人情で助けても、双方とも真の助かりにはなりません。神情です。神心となってお導きをするのです。神様が助けて下さるお手伝いをさせて頂くのです。そこには、人も助かり自分も助かる示現(神仏が不思議な働きを示し現すの意)の道が開かれます。信心とは本当の真実を分かることです。(昭53・7・8)
諺にも「我が身をつねって人の身の痛さを知れ」と。お道の信心ハ愛の心も慈悲心も内容とした神心を育て養うことである。雪の日やあれも人の子樽ひろい(昭53・7・8)
金光教祖の御教え183か条について、合楽教会初代教会長大坪総一郎 師が、その要諦・真髄を説かれたものを集録和賀心教典とは
