一、まめな時家業をおろそかにし物毎におごること。
「我身は我身ならず皆神と皇上との身とおもひ知れよ」とあるように、家業に忠実であることは、神への奉仕であり、社会への奉仕でもあり、自身のためには、修行ともなるのです。此方の行は「家業の行」と教えてあります。驕りがましいことをすれば、必ず身の破滅です。身分不相応は、天地の法則に違反するからです。教祖は身をもって教え誡めておられます。(昭43・6・26)
楽はすると思うな、楽はさせてもらうもの。 蝉は暑い夏を涼しい所で、涼しげに遊び暮らしている。 蟻は夏のうちにせっせと働き、冬場の用意に専念する。(昭48・7・3)
耳かりの ありてかりけり 日向ぼこ
休息と「疎かにする」とは、自ずと意味が違います。許されての楽には御礼が言える。その心に神も一緒に和し給う、そこに和楽の歓びがある。許されての自由、日と光の旋律、縛られることのない金光大神の無碍の世界、「晃」世界が開かれる。(昭53・7・13)
世間では、真面目に家業を勤め、食するものも食せぬようにして、貧しい生涯で終わる人もある。信心させて頂く者は、教祖の御教えとしてこれを頂き行ずれば、必ずや繁昌のおかげになる。(昭59・7・11)
金光教祖の御教え183か条について、合楽教会初代教会長大坪総一郎 師が、その要諦・真髄を説かれたものを集録和賀心教典とは
