今日のご理解(2023年5月2日)
理Ⅰ・荻原須喜の伝え・12
丑の年(荻原須喜のこと)、痛いのが治ったのがありがたいのではないぞよう。まめ(壮健)なのがありがたいのぞよう。
教会長の御理解
後には旧教典、四十六節の
「痛いのが治ったのがありがたいのではない。いつもまめながありがたいのぞ」
として掲載されます。微妙なニュアンスの違いを感じますね。
「いつもまめながありがたいのぞ」とは、まことにその通りだと思います。それは、病気を経て、健康のありがたさを知るように、常に壮健であることの有り難さを日頃から自覚し、お礼が言える信心生活となること、という意味も含んでおりましょう。
ある重病の方が奇跡的に回復して平癒されました。有り難いことと思って、ぜひ皆さんにこの事をお話させていただこうと思って、教典(旧教典)を開きますと、この四十六節を頂きました。絶句しました。痛いのが治ったというその奇跡のような話が出来なくなりました。ほとんどの人は奇跡的に治って有り難いと思うでしょう。けれども、それよりも、もっともっと有り難いことがあるのだと。それが、いつも壮健であるということだと。
この御理解の「まめなのがありがたいのぞよう」には、そういう意味と共に、本来、人間というものは、健康であることが本当の姿であるぞ、との意味も感じました。ですから、痛いことになったのは、日頃のお礼が足りなかったからだと思ってもよいほどだと。天地の御恩恵に対する感謝の念が欠けておるからと、そう思ってもよいぐらいだと。
無病息災のおかげを本当に頂かなければなりませんね。
仲原教会での御教え 金光教教典からの一節を取り上げ、解説をつける今日の指針今日のご理解とは
