今日のご理解(2021年10月26日)
金光教教典p436の13節です。
理Ⅱ・石田友助師の伝え・13
信心は、後に生まれるほどしやすい。私には信心の親がなかった。神様よりほかには、たずねる者がなかった。
教会長ご理解
教祖様の場合、だからこそ良かったのかもしれません。神様直伝の教えばかりということになられましたから。弟の繁右衛門さんは後に山伏寺に入られて、そこで勉強をされてあります。ですから、弟さんの教えは、不浄、けがれをやかましく言われて、まったく別の道となったと伝わっています。いわゆる伝統宗教の流れをくまれたのでしょう。
ところが教祖金光大神様の教えは全く独自のものであることが、これまでの資料を読めば歴然としています。
今から四十年ほど前でしたか、四代教主金光様の時代に「我流にならないように」と金光様が仰ったことがありました。しかし本教は我流だらけかもしれません。それというのも、師匠と弟子という関係で道が伝わってきていますから、どうしても師匠の流儀にこだわらざるを得ないのです。それが、昭和五十八年に、現在の金光教教典が出版され、やっと教祖様の御信心の全貌が見えてきたのです。もっとも、皆あまり教典を読みませんがね。それに読んでも長年の考え方から抜け出せない、素直に頂けない、というものが人間にはありますし。
例えば表行(水行や断食など肉体を苦しめる修行)よりは心行をせよ、と仰せられているのが教祖様です。それに関する御理解もたくさんあります。
けれども「(表行は)するな、とは仰せられていませんから」と言う人があったり「してみてからそれを言いなさい」と言う人もあります。そういう理屈を言うなら、教祖様の教えそのものが、もう意味のないことになってしまいましょう。教祖様が説かれた教えは、皆、天地の親神様直伝のものなのです。
「此方の言うことを聞いてそのとおりにすれば、神の言うことを聞くのと同じである。金光大神の言葉をそむかないように、よく守って信心せよ(理Ⅱ・近藤藤守の伝え・3)」
なのです。
皆、自分の思い込みというものに縛られているのです。神様のイメージすら教養という「洗脳」を受けて、「教祖様の天地観は私の心に響かない」と仰る方もあるのです。
合楽の初代親先生がよく申されていました。「本当でもないことを本当と思い込んでいる、それを取るのが非常にむつしい」と。これが取れたら、大きな改まり、ということになるのです。
自分の感覚、感性、考え方、思い込み、それはいったいどこから来ているのか、一度点検してみる必要があるのではないでしょうか。
仲原教会での御教え 金光教教典からの一節を取り上げ、解説をつける今日の指針今日のご理解とは
