今日のご理解(2021年10月20日)
金光教教典p78の1の「お知らせ事覚帳」からです。
戊午年(つちのえ・うまのとし・安政五年・1858)正月朔日(ついたち)、私、亀山金乃神様へおもちを持ってご年始にまいり仕り候。弟、早々金乃神様へお願いあげ。金乃神様お喜び。
「戌の年(いぬのとし・教祖のこと)は神と用いてくれ(立ててくれ)、金神が礼に拍手(かしわで)許してやる」と仰せつけられ候。
「神とあったら、大社小社なし、拍手打って一礼いたして通り(れ)。金神下葉(したば)の氏子と申して、日本の神々へ届けいたしてやる。神が受け返答いたすようにしてやる」とお知らせ。
「戌の年、今までは、だんだん(いろいろと)難を受け。これからは、医師、法人(ほうにん・修験者)いらぬように、わが宅で何事も願い(え)。ほかの氏子には言わん」と仰せつけられ候。ありがたし。
教会長ご理解
神を神と用い、神と立てるということ。
人間、いろいろと分かったつもりでおりますが、本当は分からないことだらけなのが天地ではないでしょうか。
たとえば、太陽。銀河系の恒星の一つ、推定年齢約46億年、水素の熱核融合による光熱を発する、などと、さも分かっている知っているように人間は言いますが、
「何事ありてもびっくりすな。日天四がおる間は苦世話にすな。親のようなもの。子供が、親がおればよかろうが。(明治十五年二月四日お知らせ)」
と仰せられる意思あるお方とまでは知らないでしょう。
たとえば、天地の間の人間。人間にだけ明確な意思があると思っているようですが、そもそもその意思はどこから来ているのか、脳の神経回路によるものとか、魂によるとか、いろいろに申していますが、結局は分からないのです。
自分の指一本、自分で造った者は一人もいません。どうしてこういう構造になっているのか、それも分かりません。けれどもこの指を使って精緻な物を造ったり、楽器を演奏したり、手作業をしたりと、実に便利に使うことが出来ます。いったいどなたの設計によるものなのでしょうか。
たとえば、金乃神様、大地の神様、母なる大地とも人々は言ってきました。
教祖さまの場合、「金神」という祟り神へ実意な向かい方をされたところから交流が始まっています。最初から大地の神様として認識してあったわけではありません。神様ご自身が、徐々にその本体を露わにしてこられたのです。
教祖が、神を神と立てられた、神と用いられた結果なのです。月天四さまのひれいも、お月様を神と立てられた用いられた結果なのです。
そして慶応三年十一月二十四日には、神様ご自身が「人間は神の氏子」と宣言されます。親心を露わにされた言葉を述べられます。(教典87pの7)
教祖のご認識も、
「天地を父母と授ける。天は父、地は母、授けるによって、その身一心に拝めい」
「此方の信心をする者は、一生死なぬ父母に巡り合い、おかげを受けていくのである」
という御理解となってまいります。
みな、神を神と立て、神を神と用いたところからのものであり、神様も真の神様としての本領を発揮されます。すなわち、平癒安心のおかげのみならず、人間の思い違い考え違い、誤った習慣などを正して行かれます。
単なる太陽と月と地球、ぐらいに思っている人には天地は無言です。無言のまま人は天地自然に翻弄されるだけです。神様を神様と立てる心、敬う心、そこには必ず感動とおかげが伴います。
仲原教会での御教え 金光教教典からの一節を取り上げ、解説をつける今日の指針今日のご理解とは
