今日のご理解(2021年10月19日)
金光教教典p320の13節です。
理Ⅰ・佐藤範雄師の伝え・13節
明治十三年より版刷りのお札を信者に授けたるものを教祖にお目にかけたら、生神ご祈念くだされて、ご裁伝に、
「此方は出さぬ道を立てておるのぞ。宮寺にするようなまねはすな」
教会長ご理解
どういうお札かは不明ですが、普通なら教祖さまに先に、このようにしてよいでしょうか、とお伺いするのではないでしょうかね。
「宮や寺がするようなことのまねはするな」とは厳しいお言葉ですが、お道の本質を知れば、まったくその通りでありましょう。
けれども、これは明治政府の政策とも関係あることなのかも知れません。
薩長連合の倒幕によって明治の世となってからは、神道を国教化する政策がとられ、明治四年には規則を設けて氏神たるべき神社が選定され、国民はすべて出生地の氏神の氏子として登録することが定められました。出生地、氏名、住所、生年月日などを氏神社に届けることが義務づけされ、それを記した「神ノ守札」を受けて、所持することも義務となりました。もっとも、おそらく仏教界から猛烈な反対があったからでしょう、わずか二年後の明治六年にはこの制度は廃止となりました。
「朝令暮改」という言葉がありますが、まさに時の政府は維新・文明開化という名で変革していくのですが、庶民としてはほとんど混乱を招くような政策が続いていたのです。
明治六年、教祖のお広前では「天地書附」が書かれて信徒に配られますが、これは守り札ではない、よく見えるところに貼っておいて、これを心がけて守ればおかげが受けられる、と説かれました。けっしてお札ではない、忘れないための書付なのです。
けれども今日では教会の御神殿正面に掲げられ、まるでご神体扱いですが、教祖のお言葉と照らし合わせて、ま、これでよいのかどうかはよく分かりません。
信心の対象としている、拝む相手としている、天地の親神さまというお方が自分でハッキリしておれば、どうでもよいことなのかもしれません。そして「おかげは和賀心にあり」ですから。
仲原教会での御教え 金光教教典からの一節を取り上げ、解説をつける今日の指針今日のご理解とは
