今日のご理解(2021年10月6日)
佐藤光治郎師の伝え・27節
「人を殺さないと言っても、心で人を殺すのが重大な罪である。人を鉄砲でうったり、刀で切ったりしなければ、私は人を殺してはいないと言うが、それは目に見える。目に見えない心で人を殺すことが多い。それが神様のご機感(み心)にかなわないことになる。目に見えて殺すのは、お上があってそれぞれのお仕置きにあうから、それでかたづく。心で殺すのは神様からおとがめになる」
と仰せられた。心で殺すとはどのようなことかということについては、
「病人でも、これは大病でとても助からないなどと言うが、これが心で殺すことになる。氏子の心では、助かるか助からないか、わかりはしないであろう。また、あの人は死ねばよいと言ったりもする。それがみな心で殺すのである。それよりは、どうぞ向こうが改心しますようにと、神様に祈念してやれ」
と言われた。
教会長ご理解
旧教典の御理解第七十五節の元になった伝えです。ここでは、心で殺すとはどういうことかを具体的に説いてあります。意外なものと思うのが、「病人でも、これは大病でとても助からないなどと言うが、これが心で殺すことになる」というところでしょう。人間の勝手な決めつけが、神様の御心にかなわないということであり、つまりは神様からおとがめになる、ということになりかねないことになります。気をつけねばなりません。その他、「あの人は死ねばよいと言ったりもする」それがやはり心で殺すことになると。
相手があることなら、「どうぞ向こうが改心しますようにと、神様に祈念してやれ」とあるような心の遣い方にならせてもらう、いわば反対に心で生かすという心行が中心と言うことでしょう。そういう具体的な取り組みが、信心する者には大切なところだと思います。
旧教典の御理解は、総じて元の伝えを短い文章にまとめるという方向で編集してあるものを感じます。それだけに、具体的な部分が省略されたり、一昨日の御理解のように、「悪いことをせぬ正直者でも、信心せねば神には無礼粗末ができるぞ」という肝心な部分が変わったりしています。やはり、生の御理解というか、一次資料と言える「伝え」の方を、きちんと確認しておきたいものですね。
仲原教会での御教え 金光教教典からの一節を取り上げ、解説をつける今日の指針今日のご理解とは
