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今日のご理解(2021年9月25日)

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平野五良四郎師の伝え・2節
「信心といっても別にむずかしいことはない。親にものを言うように、朝起きたらお礼を申し、その日のことが都合よくいくように願い、よそへ行く時には、行ってまいりますと言ってお届け申しあげよ。そして、帰って来れば、無事で帰りましたとお礼を言い、夜寝る時にはまた、その日のお礼を申して寝るようにすれば、それで信心になる」
と教えてくださった。

教会長ご理解

たびたび頂く御理解です。これが普通のこと、日常のこと、とならねばならないでしょう。
いつも申しますが大切なことは「親にものを言うように」なのです。
ある方の文章にこうありました。数十年前の不幸な出来事から、今日こういうおかげを頂いていますと、生神金光大神様と恩師へのお礼の言葉でしめくくってありました。けれどもそこに、天地の親神さまのことは書いてないのが気になりました。
 合楽の初代が商売で借金を抱えて一番苦しんでおられた時代に、初代が心の支えにしてあったものは、「氏子の苦しみは神の苦しみ、氏子の喜びは神の喜び」という親神さまの教えでした。苦しければ苦しいほど、共に苦しまれてあるのは天地の親神さまなのです。そこにもう私のせいで神様に苦しい思いをさせている、神様あいすみません、しかなかったと。
 私の信心はじめの頃、四国の友人から電話がかかってきました。それが弟が家を出たまま帰ってこないと言うのです。それが大学受験のことでたいへん悩み苦しんでいて、それで家を出たと。友人は無神論者でしたが、お父さんになる人がたいへん心配して、ひょっとして自殺するかも知れないということで、私が金光教の教会の息子であるのを知ってあって、それで私に電話して子供のことを頼んでくれと、言うので電話したとのことでした。すぐにお広前に行って、御祈念させて頂きました。しばらくして、急にそれはそれは言いようのない悲しみがあふれてきて、慟哭したいほどの悲しみに襲われました。泣きながら直感として、もう死んでる、と分かりました。後に山の中で首を吊っているのが発見されました。
 あの時の悲しみ、あの胸も張り裂けんばかりの悲しみは何だったのだろう、と思います。「氏子の苦しみは神の苦しみ」だったのでしょう。神の悲しみだったのでしょう。それは子供が死んで喜ぶ親はおりますまい。悲しいばかりでしょう。それでは何とかならなかったのかと。さあ、そこが信心のある者とない者は、親のある子とない子ほど違うということなのです。氏子の思い違い、考え違いからなのです。
 合楽初代は仰ってありました。「後から考えてみてあれもおかげであったと思う、のだから、後からでなく、今思え」と。「今お礼を申せ」と。それが一切神愛論の結論なのです。ある意味、深い深い神様の情念を知り尽くした人の結論なのです。
 そんな情念もよく分からない、信心のよちよち歩きの私共は、ただもう、一生死なぬ父母に、当然のようにあいさつし、お礼を言い、頼み、すがりしていく、生き方を先ずは普通のこと、日常のこととして行こうと言うのです。教祖さまのこの御理解は、そういうことだと思うのです。

仲原教会での御教え 金光教教典からの一節を取り上げ、解説をつける今日の指針今日のご理解とは

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