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今日のご理解(2021年9月1日)

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河本虎太郎の伝え・2節
神様へは何でも願え。神は頼まれるのが役であるからなあ。

教会長ご理解

 たとえば「お願いばかりしてすいません」と言う人があるとします。また、おかげを求めるばかりの信心ではつまらん、と言う先生があるとします。いずれも人としてのわきまえとしては、そうでもあろうかと思います。
 けれども天地の親神様からすれば、どうなりましょうか。ろくろくお礼も言わずにお願いばかりしてくる氏子。おかげをもらうことしか考えてない氏子。これがまったくの他人同士なら、ぎくしゃくしたことになるかもしれません。
 けれども実の親子の間ならどうでしょうか。親がいちいち目くじら立てて、子をとがめるでしょうか。しょうがないなあ、と思いつつも、やはりおかげを渡そうとされるのではないでしょうか。なにせ、「神は頼まれるのが役であるからなあ」ですから。
 つまりは親子の間柄としての親密な関係が自覚できればよいのです。「親と思えば子と思う。神を親と思って信心をしていれば、神の方から子と思う。(理Ⅱ・市村光五郎の伝え・3)」と仰せられるのですから。要は、神様と親子のような情感の通い合いこそ大切なことではないでしょうか。
 合楽初代の晩年も晩年のことです。ある時お参りしてご自宅の礼拝堂に参りました。ちょうど初代が大坪家の御神前で御祈念されたばかりのようでした。初代にご挨拶すると私の方を向いて言われました。
 「このごろ神様は私の言うことをいっちょん聞きなさらん」と。それは目の前の神様に聞こえるように仰ってある感じでした。
 私は返事のしようがなく、「ん? 親子げんかかな?」と思うぐらいのことでした。まあ、もう実質的な教会長は二代親先生でしたし、「神は社家のならわしといって、守りの心のとおりになられる。(理Ⅱ・近藤藤守の伝え・2)」とありますから、初代の御流儀よりも二代の御流儀の方を神様が優先されてある、そのことだろう、と思いました。
 けれども普通こんな言葉を御神前で言うでしょうか。昔の厳格な先生方なら、そんなこと思うだけでも御無礼である、と仰ったでしょう。
 初代の場合、真から親子の間柄なのです。一緒に居る親子だからこそ親子げんかもあるでしょう。夫婦げんかもあるでしょう。それは親密だからです。
 天地の親神様と情感が通い合うおかげを頂きたいものです。

仲原教会での御教え 金光教教典からの一節を取り上げ、解説をつける今日の指針今日のご理解とは

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