1. 和賀心教典

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第99節

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無学で人が助けられぬということはない。

学問はあっても真がなければ、人は助からぬ。学問が身を食うということがある。学問があっても難儀をしておる者がある。此方は無学でも、みなおかげを受けておる。

『此方は無学でも皆おかげを受けて居る』と仰せられる教祖の御内容は、完璧と思われる和賀心であったと思う。

人智をもって開けた文明は終わりをつげる。資本主義を超えると共に共産主義をも超えたところに、物質文明の価値が精神的価値観に変わり、外に向けられていた人心が神に向かい、内に向かうような革命がなされねばならぬ。勿論、争いをもってのものでなく、和賀心(やわらぎ、よろこぶこころ)をもってのものである。

七十年代という時代は、科学万能時代から和賀心時代にとって変わらねばならぬ時代である。(昭47・7・20)

南米布教に出ている末永建郎先生よりの手紙の一節、「ブラジルへ来て二カ月たった今日ハッキリ分かりましたことは、学問やら言葉やらは、さほどあてになるものではありません。只かぎりなく美しく豊かに大きくなる以外ありません。結論して海外布教は合楽理念に基づく他ハないということを身をもって分からされました。毎日百名近い参拝者があり、その大半は外人の方達ばかりです」とあります。(昭和52年)

学が身を食う、金が身を滅ぼすというが、学問や金や物が悪いのではない。学問があれば幸福になれる、金や物があれば、と錯覚する心が身を食う結果になるのです。それは丁度、ここに電気スタンドがあるだけではその用を足さぬもの。真というスイッチを入れて、初めてその学問や金や物が生きてくるのです。物質文明のいきづまりとは結局、この真のスイッチがわからず、その物質に押しつぶされていく姿ではないでしょうか。(昭58・7・28)

金光教祖の御教え183か条について、合楽教会初代教会長大坪総一郎 師が、その要諦・真髄を説かれたものを集録和賀心教典とは

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