1. 和賀心教典

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第93節

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氏子は神の守りをしておる者を神と心得て参詣する。

守りが留守なら、参詣した氏子は、今日はお留守じゃと言おうが。神の前をあけておくことはできぬ。万事に行き届いた信心をせよ。常平生、心にかみしもを着けておれ。人には上下があるが、神には上下がない。人間はみな同じように神の氏子じゃによって、見下したり汚がったりしてはならぬぞ。

武士にはさむらい言葉、町人には町人ことば、廓には廓にふさわしい里言葉までがあるように、教師は教師らしい、信者は信者らしい信心態度と内容を持ちたいものである。

形よりも内容と言うけれども、形もまた大切である。信心も紋付き袴をつければ紋付き袴をつけた心が生まれる。浴衣がけでは浴衣がけだけの信心である。袴に白扇でも持ったようなキチッとした信心を身につけたいものである。(昭47・7・13)

せねバならぬ修行ハ苦しく疲れる せねバおれぬ修行ハ有難く楽しい(昭和52年)

『常平生心に裃を着けておれ』というのは「吾、神の子」としてこの世に生を受けし栄光と「吾、屑の子」としての最低の自分とをいしつも自覚せよということ。

この上下の心がある時なら、どのような中にあっても有難いという答えがあるものです。そこには人を見下したり見上げたりせんですみます。心配、不平不満、おごる心、人を責める心等々がある時は、神様があなたの心からお留守になっておられる時です。(昭58・7・22)

金光教祖の御教え183か条について、合楽教会初代教会長大坪総一郎 師が、その要諦・真髄を説かれたものを集録和賀心教典とは

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