第92節
神は一体じゃによって、此方の広前に参ったからというて、別に違うところはない。
あそこではおかげを受けたけれど、ここではおかげが受けられぬというのは、守り守りの力によって神のひれいが違うのぞ。神の守りをしておれば、諸事に身を慎み、朝寝をしてはならぬ。早く起きると遅く起きるとは、氏子が参詣の早い遅いにかかわるぞ。
守り守りの力とは取次者自身の神を信ずる力のことである。常に真実を求め願う心の強さである。神前奉仕にあたっては、節度を守り確かな修行精神の盛んなことによって神のヒレイが異ってくる。
よいことは神さまのおかげと頂き、悪しきことは神さまのせいとせず他人のせいとせず、私の不行き届きとして詫びてゆく道を光のみちと言う。光の道を行く人の上に光り輝く道は開ける。(昭47・7・12)
神の守りをする者ハ
一、朝寝ハシマセン
一、諸事ニ身ヲ慎ミマス
と神様に誓いを立てるがよい。
はじめのうちは涙の出るほど辛いことだが、辛抱して居るうちに我情もとれ我慾もとれてくる。辛抱の有難さが身に沁みてくる。他のご比礼をうらやむようなことでは、いつまでたっても神の比礼ハ現われない。(昭和52年)
彼の人はおかげを受けるけれど、この私はどうしておかげが受けられぬのかというのは、守り守りの力によって神のヒレイが違うからです。『守々の力』とは、教えを守る力のことです。お道の信奉者として守らねばならぬ三原則
一、朝寝はせぬ事(天の心)
一、一切の成行きを尊ぶ事(地の心)
一、信心辛抱を貫く事(日月の心)(昭58・7・21)
金光教祖の御教え183か条について、合楽教会初代教会長大坪総一郎 師が、その要諦・真髄を説かれたものを集録和賀心教典とは
