第91節
もとをとって道を開く者は、あられぬ行もするけれども、後々の者は、そういう行をせんでも、みやすうおかげを受けさせる。
教祖は天地の心と人間氏子の心が一つになって拝み合い、あいよかけよで立ち行くことを、神にとっても氏子にとっても最高の幸福として、その原点を追求せられ、実意丁寧神信心によって体得せられたのがお道である。
容易うおかげが受けられると言うても、幸福になるための当然の理を教えられても、計算違い思い違いをしては、よい答えは出てこない。男と女が合体すれば子供が出来る。5+5=10の答えは当然の理である。(昭47・7・11)
『本を執って道を開く者はあられぬ行もするけれども』というのは、たとえば舟を出しイカを釣り、これを干しあげ、スルメにするようなものである。後々の者ハ噛めばかむほど味のあるスルメを食するようなもので、要ハどこまで味わいを深めるかは後々の者の真心である。(昭和52年)
「よりよい生き方はないものか、より助かる事のできる道はないものかと尋ねつづけ、さまざまに迷い、さまざまに苦労し続けて、はじめて、ここに其の助かり方と生き方を、確信と喜びをもって、お話し出来ることを、先ず感謝いたします。」(大坪総一郎師教話集より)
今日、井村美恵子さんのお孫さんが誕生されました。授産名を「信行」と頂きました。あられぬ御修行の中から神と人とが交流し、合い楽しむ合楽世界の道が開かれたのです。そういう容易うおかげが受けられる道がここにあるのですから「素直に信じて素直に行ずる」ことが肝要です。(昭58・7・20)
金光教祖の御教え183か条について、合楽教会初代教会長大坪総一郎 師が、その要諦・真髄を説かれたものを集録和賀心教典とは
