第77節
人の悪いことを、よう言う者がある。そこにもしおったら、なるたけ逃げよ。陰で人を助けよ。
人の悪口にはあやしいまでの魅力がひそんでいる。たしかに悪魔のささやきにも似たものがある。
教祖ハ『そこに若し居ったら成る丈逃げよ』と教えて居られる。ところが私どもはそれに入って一緒に悪口を言い、悪魔の仲間になってしまう。一匹の犬が吠えると他の犬も一緒に吠え出すようなもの。「弱い犬は吠える」である。強い心を養わねバなりません。「陰で人を助ける 陰で祈る」それは信心するもののつとめでもあると思います。(昭46・7・28)
拝み合い、助け合い、誘い合いの世界をひろげていくのが信心であってみれば、他の悪口など言うたり聞いたりする暇はない。肉の耳で聞かず、心の耳をもつ聞けば陰で祈らずにはおれぬ。(昭52・7・29)
面白いもので、有難い教えはいくら聞いてもすぐ右から左に通りぬけるものですが、人の悪口は小耳にはさんだだけでよく耳にとまるものです。こちらの命が低い次元に住んでおります時は、低俗なものにしか興味を感じないものです。
「猫に小判」ということを申しますが、むしろ猫には小魚一匹の方がふさわしい。今、自分の耳、口、目、鼻、肉体を喜ばせるものは何でしょうか。よくよく考えてみたいものです。「信心がだんだん身についてくると、今までしたいと思っていたことがしたくなくなり、したくないと思っていたことがしたいと思うようになる」(玉水教会初代教会長・湯川安太郎先生)(昭58・7・6)
金光教祖の御教え183か条について、合楽教会初代教会長大坪総一郎 師が、その要諦・真髄を説かれたものを集録和賀心教典とは
