1. 和賀心教典

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第72節

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人間を軽う見な。軽う見たらおかげはなし。

神の氏子としての頂き方、見方が出来ることが本当ですが、なかなか難しいことです。それでもやはりおかげを受けねばなりませんので、同でも本気に取り組まねバならぬことであります。

『軽う見たらおかげはなし』とまでに断言してあるのですから。

そこでいよいよ自分を見極め掘り下げてみることです。そこには、いたらぬ私、きたない私、いよいよ相すまぬ私がハッキリわかってまいります。そこから人を見るのです。みんな自分より立派に見えてくるのです。軽う見ようにも軽く見れなくなるのです。(昭46・7・23)

人間を軽う見られぬように、言うことなすことに心しなけれバなりません。軽う見られることは軽う見た人が『おかげはなし』ということになるのですから慎まねバなりません。他人が軽う見える時には自分を尊大に思って居る時です。自他共の助かりの為にも他人を神の氏子と見、自分を屑の子と見ることです。(昭52・7・24)

『軽う見たらおかげはなし』と言われるのですから、大切にする心におかげがあるということになります。大切にするとは、その個性を尊重するということです。

大根に人参の赤きを求めず

人参に大根の白きを迫らず

午蒡にその黒きをたたえ

蕪菜にその青きをほむ

自然の心寛きかな(信楽216節)

大切にせずにおれない心の根元は寛き心です。(昭58・7・1)*「寛」・・・・・・うかんむりは宇宙のこと 草かんむりは自然ということ 天地自然の働きを神の働きと見ることこそ寛大な心である。

金光教祖の御教え183か条について、合楽教会初代教会長大坪総一郎 師が、その要諦・真髄を説かれたものを集録和賀心教典とは

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