第67節
何事もくぎづけではない。信心をめいめいにしておらねば長う続かぬ。
地球はじっとしているようで、実はすさまじい回転をつづけているように、何事も変わったことはないようで実は釘づけではないのである。
だからこそ天が地になるほどのおかげ、白が赤になるほどの奇蹟も又生まれるのである。その動きが有難い方へ有難い方へと向かって進展してゆくような信心が、求められる所以であります。故にめいめいの信心が生き生きと成長してゆかねばならぬ。他人を見ず自分だけを見つめて進め。神さまと自分だけの世界を開け。(昭46・7・18)
目の見えない人、耳が聞こえない人、人それぞれ様々なれば、各自その自覚に立って信心せねバならぬ。目が見えないため、かえって目明きが不自由に見えるほどの勘も強くなり、耳が聞こえないために人の心を読むことが誰よりも的確になるようなもの。
それぞれ身にもてる力が充分発揮できるよう精進が肝心。いよいよ極めにきわめてゆくことが楽しゅうなり有難うなることに努めねばならぬ。(昭52・7・19)
本当からより真実を求めて行くのが信心だ。限りない追求、限りない精進、そこには限りないおかげの世界が開けて来る。より真実の信心には、より真実のおかげの証がある。−いたら+してみる。+したら−いてみる。確かな答えを踏んまえて進む。確 かに信心は釘づけではない。(昭57・7・27)
金光教祖の御教え183か条について、合楽教会初代教会長大坪総一郎 師が、その要諦・真髄を説かれたものを集録和賀心教典とは
